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熊川宿は、若狭湾から琵琶湖に抜ける若狭街道途中の宿場町です。街道に沿って前川が流れ、古い建物と一体となって風情ある町並みを形成しています。
重要伝統的構造物群保存地区である熊川宿の景観整備(熊川宿整備事業)、地域住民による清掃活動、年間を通じて前川沿いの家による季節の花などの植え替えが行われ、地元住民による昔から受け継がれてきた歴史的景観の保全が実現しています。
なお、前川は「水の郷百選」に選定され、熊川宿の町並みは「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
→平成の名水百選(環境省ホームページへリンク)
→水の郷百選(国土交通省土地・水資源局ホームページへリンク)
【熊川宿・前川に関する書籍はこちら】
暮らしを潤す身近な水路
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松川・いたち川は、富山市中心部を囲うように流れています。
松川はかつて富山城を守る堀として利用されるとともに、城下に物資を運搬する舟運路としても重要な役割を担っていました。現在の松川べりは桜の名所として知られ、春には両岸の桜が一斉に花開き、たくさんの人が訪れています。
一方、宮本輝の「蛍川」の舞台にもなったいたち川は、常願寺川の常西合口用水を水源とし、城下町の東側の住宅地を流下しています。
いたち川の水辺と清水は、平成の名水百選に選ばれています。
→平成の名水百選(環境省ホームページへリンク)
【松川・いたち川に関する書籍はこちら】
○暮らしを潤す身近な水路
○日本の水郷・水都
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会津若松市内には、湯川右岸側の戸の口堰と雁堰、左岸側の門田堰から始まる大規模な水路網が形成されています。その歴史は古く、水路の水は多様に利用されていましたが、今では市街地の水路はほとんど暗渠化され、水質悪化が問題となっています。
しかし、水環境整備事業等により水辺再生にむけて水路の活用が図られ、戸の口堰は灌漑用水のみならず上水道や発電用水としても利用されています。また、門田堰は灌漑用水としての利用に加え、洗い場や庭の池への水の引き込みなど、生活用水に活用されています。
【会津若松の水路に関する書籍はこちら】
暮らしを潤す身近な水路
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大内宿は、会津若松と日光を結ぶ街道沿いの宿場町で、明治17年に現在の日光街道が開通後は日光街道の外れに位置し、昭和40年頃まで昔のままの生活が営まれていました。昭和56年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されてからは、「元気ふくしま、地域づくり・交流促進事業」等によって、観光を中心としたまちづくりが進められ、今では会津地方屈指の観光地となっています。
大内宿では集落の中央を道路が通り、その両側を水路が流れています。水路の水は清澄であり、整然と軒を並べる茅葺屋根の民家と水路は、周辺の自然と一体となった美しい山里の風景を今に伝えています。
→大内宿の自然用水はこちら(環境省ホームページへリンク)
【大内宿に関する書籍はこちら】
○暮らしを潤す身近な水路
○大内宿,大塚 實 (著) ,歴史春秋社 (1998/05)
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金山川は、天正年間(1580年ごろ)に開削され、最初は城下村落の農業用水として、次いで近世宿場集落の農業および生活用水として利用されてきました。
しかし、老朽化が進み漏水が激しくなったため、昭和48年に採択された「農村総合整備モデル事業」として、昭和52年から58年にかけて総延長 2,564mの水路改修が行われました。
この事業では、本水路に沿って遊歩道が設けられ、沿道には桜が植樹されるなど自然公園的な要素を備えた整備がなされています。また、水路本体は従来のコンクリート造りではなく雑割石が用いられているとともに、河川の美化に対する啓蒙普及活動のため昭和48年から錦鯉が放流され、町の景観施策のシンボルとなっています。
さらに、「金山町街並み景観条例」に基づき「街並みづくり百年運動」が進められ、地域風土や地場材、在来工法を活かした「居住環境」を構築し、百年かけて美しい街並みを形成する創造型のまちづくりが進められています。
なお、金山大堰は疏水百選に選ばれています。
→疏水百選(全国水土里ネット(全国土地改良事業団体連合会)ホームページへリンク)
【金山川に関する書籍はこちら】
川・人・街―川を活かしたまちづくり
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山形市内にある農業用水路「五堰」は、笹堰・御殿堰・八ヶ郷堰・宮町堰・双月堰の五つの堰の総称で、総延長は115kmあり、市街地に残る農地と下流域の農地を潤す用水として重要な役割を担っていました。
しかし、コンクリート水路等への改修により、暗渠化されたり蓋を掛けられ、昔の石積水路が完全な形で残存するのはわずか8kmとなりました。
そこで、地域用水機能増進事業や地域用水環境整備事業により、山形市の歴史的財産である山形五堰を親水・景観・歴史・生態系に配慮した憩いの場所として提供するため改修整備が行われています。
なお、山形五堰は疏水百選に選ばれています。
→疎水百選(全国水土里ネット(全国土地改良事業団体連合会)ホームページへリンク)
【山形五堰に関する書籍はこちら】
暮らしを潤す身近な水路
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六郷湧水群は、奥羽山脈で涵養された地下水が、扇状地で湧き出るもので、六郷町内に78箇所の湧水が分布しています。現在も湧水は町の人々の飲料水であり、スイカや飲み物を冷やしたり野菜を洗うなど生活の一部として大切に使われ、地下水脈に配慮した下水道整備が行なわれるなど、行政と住民が協力して湧水の保全に取組んでいます。
また、地域再生計画(「しずのまち」美郷町六郷湧水群再生計画)に基づき、公共下水道や浄化槽の設置を推し進めています。
六郷地区の六郷湧水群は昭和60 年に環境庁から「名水百選」に選定され、平成7年には国土庁の「水の郷百選」に認定されました。また、甦る水百選や水源の森百選にも認定され、現在「水の四冠王」となっています。
→名水百選(環境省ホームページへリンク)
→水の郷百選(国土交通省土地・水資源局ホームページへリンク)
【六郷湧水群に関する書籍はこちら】
暮らしを潤す身近な水路
By JRRN事務局 | カテゴリー: 東北 | コメント(0) | トラックバック(0)
濠川は、京都市伏見区を流れ宇治川に注ぐ運河で、豊臣秀吉の伏見城築城の際に外堀として開削され、明治になって疏水とつながれました。
かつては水路・陸路の要所でもあったこの地は、明治10年(1877年)の東海道線開通とともに、水上交通は衰退し始め、一時は水運機能が途絶えました。
その後、宇治川において「十石舟」が復活し、伏見港港湾環境整備事業などを経て江戸期に盛んだった舟運を再現した舟下りが観光用に再現されています。観光目的のほか、「伏見リバースクール親子歴史教室」等を開催し、舟を活用しながら伏見の川や街のことについて遊びながら学ぶイベントも行われています。
【濠川・宇治川再生に関する書籍はこちら】
○日本の水郷・水都
○京都 宇治川探訪―絵図で読みとく文化と景観,鈴木 康久 (編集), 西野 由紀 (編集) ,人文書院 (2007/06)
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東西交通の要衝の地でもあった大垣では、水門川を市のシンボルとしてまちの軸に位置づけ、川からのまちづくりに取り組んでいます。
国土庁の「水緑都市モデル地区整備事業」の指定を受け、昭和58年から 3年間にわたって水門川3箇所をモデル地区に選定し、「水の広場(貴船広場)整備事業」、「水門川プロムナード整備事業」、「四季の広場整備事業」に取り組みました。
俳聖・松尾芭蕉が奥の細道の旅を終えたむすびの地であることに由来する「舟下り芭蕉焦」は、桜に彩られた川岸を眺めながら大垣城の外堀・水門川約1.5kmをゆっくり進む舟下りであり、当地の所以を活かした祭りです。 また、地域が誇れる豊かでおいしい地下水やまちの環境を守っていくために、NPO法人が主体となり、「水」をまちの資源として活かしていく「水門川ルネッサンス事業」が実施され、自噴井戸の設置や水門川の清掃活動「水門クリーンプログラム」などが行われています。
なお、水門川は水の郷百選に選ばれています。
→水の郷百選(国土交通省土地・水資源局水資源部ホームページへリンク)
【水門川再生に関する書籍はこちら】
日本の水郷・水都
By JRRN事務局 | カテゴリー: 中部 | コメント(0) | トラックバック(0)
谷田川や利根川に挟まれた群馬県邑楽郡板倉町は、古くから多くの沼や湿地が広がる水郷地帯です。この水郷地帯は、豊富な水によって土地や人々の生活を潤す一方で、時には甚大な水害をもたらし、生命や財産を奪ってきました。
現在は、かつて水害時の避難や物資の運搬に使われていた揚舟を使って、水郷文化を見直す気運が高まり、舟運に関するツアー等が企画され人気を呼んでいます。
【谷田川再生に関する書籍はこちら】
日本の水郷・水都
By JRRN事務局 | カテゴリー: 関東 | コメント(0) | トラックバック(0)